目が覚めたら、そこはいつもの風景とは違っていた。
簡素だが、自分の体には厚手の布がかけられていた・・・
まだ周囲はうっすらと明るく室内の様子が見て取れた。一面板張りの部屋・・・どこかで見たことがある。
違う景色なのにどこか懐かしささえ覚えた。
そうだ・・・道場だ。
いつも鉈を振るっているあの・・・
でも、どうして・・・学校にいたはずなのに――――――――
「起きていたか?夕餉を運んできたんだが・・・食べれそうか?」
もの静かな襖を開ける音の向こうに30代そこそこの男性が立っていた。
一瞬言葉がわからず首を傾げるが、その手に持った湯気の立つお椀を見て食事を運んできてくれたのだと理解した。だが、どこの誰かも分からない者が作った食事に手をつけられるほど人は良くない。
きっと今の自分は如何わしい表情を浮かべていることだろう・・・
反応を見せない明に、その男性が部屋の中へ一歩、また一歩歩み寄ってきた。
そしてその顔をはっきりと見た時、明は自分の目を疑った。
「あの時の・・・」
そう、その男性の顔・・・というか雰囲気が先ほどの蒼髪の少年にどことなく似ていたのだ。
きっとあの少年も歳を取ればこんな風になるのだろうと・・・そう思わせる風貌だった。
すると、その男性は持っていたお盆を置いて笑みを浮かべた。
「前に会った覚えはないが・・・喋れるようで安心した」
どうやら心配をしてくれていたようだ。
そして明は自分の前に置かれた夕餉を見て唾を飲み込んだ。
不審そうに見る明にその男性は豪快に笑った。
「毒なんか盛ってないから安心していいぞ。まぁ、まだ家の者に伝えてないからこんな物しか用意できなかったんだが・・・ごめんな」
始めは笑みを見せていたその顔も次第に曇り、最終的に謝られた。
そんな顔をされたら・・・
「ありがたくいただくわ」
盆の上に載っていたのは、香の物が入った小皿と雑炊のようなもの入った椀だった。
手前に置かれていた箸を手にして、手を合わせる。
一口食べて、その癖のある味に戸惑ったが、思った以上の空腹だったのと雑炊であっさりしていたこともあり、全て胃の中に収めた。
食べた後に歯にまといつく汁が気持ち悪かったが、食べられないこともない。
明が食事をしている間、その男性はずっと横に座っていた。
そしてじっと見られていることに気がつき、背を向けるがその男性は「もう食べ終わった後だぞ」と言ってお盆を持ち上げた。
どうやら部屋を出て行くようだ・・・
「待って、聞きたいことが・・・」
「・・・また戻ってくるよ」
そう言ってその男性は襖を滑らせて静かに閉めた―――――――――
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星が動いたのは1178年、治承2年の真夏の夜である。
折りしも待ち望んだ中宮徳子の懐妊を祝う為に一族が六波羅へと集まった席でのことである。
明はその日も重盛を見送り、一人その帰りを待っていたのだ。
この年の冬、体調を崩した重盛は内大臣を辞すると申し出たのだが、
赦されず。
その時、明は清盛に言ってどうにか解任してもらおうとしたのだが重盛本人に止められた。
ことの騒ぎを大きくしたくない・・・重盛の意思を尊重して、明は手を出さなかった。
だが、何故無理をしてでも清盛に言わなかったのか・・・後々後悔する事になろうとは思わなかった。
それは太政大臣を辞して十年が過ぎてもなお、その影響力は絶大だった傑物、平清盛の存在があったからだ。自身と嫡子である重盛はその名を日本中に轟かせていた。
この流れを絶つわけには行かない―――――――
しかし現実は、皆どこか脆弱だった。知恵者でこそあるが果断さに欠ける長子重盛、常に人の顔色を窺っている腺病質の次男宗盛、そして武勇こそ逞しいがそこに埋もれた感のある三男知盛、四男重衡にしてはまだ若すぎて一族をどうにかさせようとする力など持ち合わせていない。
他の縁戚は、官位ばかりを気にし管絃や詩歌などにうつつをぬかす者ばかりだ。
いずれ自分がいなくなった時一族はどうなってしまうのだろうか-----------
(省略)←ぇ
その日、明は寝付けずにいた。
何か胸の辺りがモヤモヤとしていて嫌な予感がしてならない・・・
そして明の前に一人の僧が立っていた。
その僧から告げられた真実に明は愕然とした―――――
清盛は世を欺き、女を男と偽って徳子の御子を皇位につけようとしていると・・・
そしてその罪に対して罰を受けなければならない・・・
そう告げた僧は雷鳴と共にその姿を消した。
静まり返っていた空気が振るえ、たちまち土砂降りの雨が屋根を打ちつけ、明はその場に崩れた。
誰かが死んだ――――――――
清盛か・・・それとも皇子か・・・
しかし、その朝重盛の急死を告げる死者が六波羅の門を叩いた。1179年治承3年7月29日のことである。
「これからは・・・明、そなたの為に時間を作ろう」
内大臣の職を辞して、出家し浄蓮となった重盛が明に言った言葉である。
それからたったの2ヶ月しか経っていない―――――
明の怒りは清盛に向けられた。
なぜ、清盛の罪を重盛が背負わなければならなかったのか・・・
明は泣き叫び、声を荒げ怒鳴り散らした。
重盛の急死は平家一門にとって測り知れない打撃を受けた。
そして何より、清盛の落胆振りは一際目立った・・・後を任せるならこの男しかいないと決めていた長男である。
訃報に触れた途端清盛は膝をつき、半時あまり訳のわからぬ言葉を、時に叫び、時にボソボソと独り言のように続けたという。
以来、清盛は刻一刻と正気と狂気の間を彷徨いながら生きているようなところがあったという。
将臣が福原へ来る1年余り前のことであった―――――――――PR